国産小麦でつなぐパン屋の未来:3時の壁を乗り越えるためのヒント
要約
私が営むひとぱん工房では、パン屋特有の「早朝から長時間働く」というスタイルを見直しながら、国産小麦の良さを広めるための取り組みを続けています。パン屋同士の横のつながりを通じて新たなヒントを得たり、地域の生産者さんとの連携による地産地消を目指したりすることで、少しでも負担を減らしつつおいしく安全なパンをお届けできるよう試行錯誤しています。ここでは、私自身の経験を踏まえながら、「3時の壁」と呼ばれる早朝労働問題や国産小麦普及の課題、それらを解決するためのアイデアについて、たっぷりとお伝えします。
はじめに:パン屋を取り巻く現状
パン屋さんと聞くと、「おしゃれで可愛らしいお店」「朝から焼き立てを提供してくれる」といったイメージを持たれる方が多いかもしれません。私も最初はそうしたイメージに憧れ、パン屋の道に飛び込みました。でも、実際に経営を始めてみると、「想像以上にハードな労働環境」であることを痛感しています。
特に個人店だと、人手不足や生産数の制約、朝の仕込み、接客、後片付けまで一人もしくは少人数でこなすことが多く、休日すら満足にとれないという声もよく聞きます。経営状態も常に安定しているわけではなく、「おいしいパンを作りたい」という気持ちだけでは乗り越えられない壁に直面することがたびたびあります。
このように、パン屋にとっては多くの課題がある中で、私がどうしても譲れないのが「国産小麦の普及」です。自分のお店で100%国産小麦を使用すると決めている理由は、国産の小麦粉が持つ独特の風味や食感を最大限に生かしたいから。さらに、地域の生産者さんと協力していくことで、地産地消を促進し、より持続可能な形でパンをお届けできるのではないかと考えています。
3時の壁と労働環境のリアル
パン屋の世界では、「3時の壁」という言葉をよく耳にします。これは「朝3時よりも前に仕込みを始めると体を壊しやすい」という暗黙の認識を指しています。もともと、パン屋の仕事は朝が早いのが当たり前とされてきました。生地を仕込み、成形し、焼き上げ、お客様に新鮮な状態で提供するためには、早朝のスタートが必要だからです。
しかし、この「3時より前」というのは、人間の体内リズムにとってかなりの負荷がかかります。例えば、午前2時起きで仕事を始めた場合、その日中に働く時間がどうしても長くなるため、気づけば一日12時間以上立ちっぱなし、なんてことも珍しくありません。さらに、朝の焼き上げが終わってホッと一息つく間もなく、お昼から夕方、夜にかけて仕込みや接客が続き、結局一日が終わるのが夜10時なんてケースも。
もちろん、人員を増やして役割を分担すれば、店主の労働時間は減らせます。ただ、そのためには人件費の確保とさらなる売上拡大が必要です。結果的に、生産量を増やしたり商品の価格を上げたりする必要が出てきます。売上が想定より伸びなければ、店主自らが自分の給与を削る、あるいはさらに早起きして頑張るしかない、という悪循環に陥りがちです。
私自身も一時期は「2時起きでスタート、夜まで動きっぱなし」という生活を続けていたことがあります。好きで始めたパン屋とはいえ、体力的にも精神的にもギリギリで、「このままではお店を続けられなくなるかもしれない」と悩んだこともしばしば。結果、私の中では「午前3時に起きて作業を始めるところが体力的にも気持ち的にもギリギリのライン」というのが、いわゆる3時の壁として強く意識されています。
国産小麦へのこだわりと課題
一方で、そんな過酷な状況の中でも、私は国産小麦を積極的に使うことを続けています。なぜそこまでこだわるのかとよく聞かれますが、いちばんは小麦の風味と食感、そして生産者さんへの思いがあるからです。
日本各地には小麦の生産者さんがいて、彼らが手塩にかけて育てた小麦を地域の製粉所で挽き、それを地域のパン屋が焼き、近隣の皆さんが食べる——そんな地産地消の循環が理想的だと思っています。大量生産・大量消費の時代において、ひとつひとつの素材の背景や生産者さんの想いが届きにくい状況ですが、私たち個人店のパン屋は、その想いをお客様に伝える橋渡し役になれるのではないでしょうか。
しかし、現状として国産小麦を使うパン屋は全国で400店舗前後しかないと言われています。理由のひとつは、やはり価格面です。輸入小麦と比べると国産小麦は割高で、パンの材料費がかさんでしまいます。そのため、どうしても商品の価格帯が高めになりやすく、日常的に買っていただくにはハードルがあるのも事実です。
さらに、国産小麦へのこだわりはお客様にはあまり伝わりづらいという問題も。スーパーやコンビニなどでも「国産小麦」表記を目にするようになり、「国産小麦だから特別」という感覚が薄まっているように感じます。実は同じ国産小麦でも産地や製粉所、収穫時期などで味わいが変わりますし、製法によっても生地の香りや食感は大きく変わります。でも、その違いを理解していただくには、より丁寧な説明や情報発信が必要になるのです。
横のつながりが生む学びと支え合い
では、このような問題をどう解決していけばいいのか。私が最近取り組んでいるのが、他のパン屋さんとの交流です。先日参加した、国産小麦の生産や普及に力を入れている企業さんが主催する勉強会では、同じように国産小麦の将来を考えているパン屋さんたちと意見交換をする機会がありました。
その場では、他店での成功例や苦労話を聞いて、私自身も「こうすれば作業時間を短縮できそう」「こういう販売方法ならお客様にもっと価値を伝えられるかもしれない」といった新しいアイデアを得ることができました。特に、「パン屋仲間同士で必要な仕込みを一部共有する」「地域のイベントに共同で出店し、国産小麦の魅力を伝える場を増やす」など、個人店同士が手を組めば実現しやすい取り組みにも可能性を感じています。
また、パート・アルバイトスタッフさんとの連携をうまくするためのヒントもいただきました。パンの成形や焼成スケジュールを細かく再編して、朝早い時間帯にかかる作業を減らす工夫をしたり、仕込みだけ翌日の分を夜に回しておく方法を取ったりするパン屋さんもあると聞きます。どれも「3時の壁」に悩まされる現場を少しでも改善しようと模索してきた知恵です。
お客様に伝えたいこと:小麦の背景とパン屋の想い
こうした努力を積み重ねつつ、私が大事にしているのは、お客様への情報発信です。パンの味や香りが一番のアピールポイントであることは間違いありませんが、それを生み出すまでの工程や労力、素材へのこだわりを知っていただくことで、より深くパンを楽しんでいただけると考えています。
例えば店頭で、「この小麦は北海道の○○さんが育てたものなんですよ」といった産地の案内や、その小麦で作るパンの特徴、焼き上げ時の香りなどをポップにまとめて紹介するのも良い方法です。さらに地域のイベントなどで試食会を開くと、お客様との距離が一気に縮まる実感があります。
また、SNSやブログなどのオンラインツールを活用して、自分たちの思いや普段の仕込みの様子を発信することも有効です。早朝から長時間働く理由や、その分だけ手間をかけて焼き上げたパンの魅力を、言葉や写真で伝え続けることで、「パン屋さんって大変だけど、やっぱり素敵だな」と感じてくれる方が増えるのではないでしょうか。
ひとぱん工房が目指すこれから
私が運営するひとぱん工房は、小さな個人店です。でもこの小さなお店から、「国産小麦の価値を伝える」「労働環境を改善しながら、よりおいしいパンを届ける」という大きな目標を少しずつ達成していきたいと思っています。
- 労働環境の改善
- 作業工程の見直しを常に行い、できる限り朝の作業負担を減らす工夫をしていきます。具体的には、仕込みや前準備を可能な限り営業時間後に行い、スタッフの負担を軽減することを心がけています。
- 国産小麦の魅力発信
- パン屋同士の情報交換を活発に行い、各産地の小麦の特色や製粉方法による違いを学び、お客様にも丁寧に伝えていきます。試食イベントやSNSでの発信を通じて、「このパンにはこういう背景があるんだ」と感じてもらえるように工夫したいと考えています。
- 地域との連携強化
- 小麦や大豆など、地元産の農産物にも目を向け、可能な限り地域資源を生かす試みを進めます。地域の農家さんと連携して、年間を通じた安定供給を確保し、そのうえでパン屋がスムーズに生産できるサイクルを目指します。
- パン文化の向上と持続可能性
- パン自体が好きでこの仕事をしているからこそ、お客様にもパンを通じた楽しさや喜びを感じてほしいと思っています。そのために、イベントへの参加や新商品の開発など、新しい試みにも積極的に挑戦し続ける予定です。
私自身、早朝から夜遅くまで重い生地や粉と格闘する暮らしが当たり前のように思っていました。しかし、ここ数年はより良い働き方を追求する中で、「私が体を壊したら元も子もない」「自分が楽しんでパンを作ってこそ、そのおいしさは伝わる」という思いが強まっています。だからこそ、3時の壁という言葉にはしっかりと向き合い、無理のない範囲でおいしいパンづくりを続けられる体制を整えたいと思っています。
まとめに代えて:小さなパン屋ができること
パン屋の労働環境改善と国産小麦の普及は、一見すると別々の課題のように見えますが、私にとってはどちらも「安心・安全・おいしさ」を追求するための大切な取り組みです。厳しい現実はあるものの、パン屋同士が情報を交換し合い、地域の生産者さんやお客様と協力しながら、一歩ずつでも前進していくことが大切ではないでしょうか。
「大変だけど、やりがいのある仕事」——これはパン屋に限らず、さまざまな職種で言われることかもしれません。だからこそ、好きだからやっているこの仕事を、長く続けられる形に整えていく努力が必要だと感じています。私が続けている100%国産小麦のパンづくりも、その努力の一部にほかなりません。
もしこのブログを読んでくださった方がいらっしゃいましたら、ぜひ一度、国産小麦にこだわっているパン屋さんを訪ねてみてください。どんな背景を持つ小麦で、どんな風に作られたパンなのか、スタッフの方や店主の方に尋ねてみると、意外な発見があるかもしれません。そんな交流が、私たちパン屋の労働環境や地域の農業を少しずつ支え、「パン屋の未来」をより明るくしていく力になると信じています。